オモイデのマフラー

前編
 彼女が帰ってきた。
「ただいま…って、ノース…」
 露骨に嫌そうな表情を隠そうともせず、女はノースを睨んだ。
「あんたが、母親か」
 派手な格好。ロングの金髪は、先の方はくるりと巻かれており、顔は美人ではあったものの、そのきつい眼が印象を悪くしている。
 落ち着いた雰囲気を纏っているノースとその父とは違い、彼女はこの空間に相応しくない存在だった。
「…どうして、このガキがここにいるの? ねぇ、おかしいじゃない」
 エドワードの質問には答えず、女はクリアリバーに詰め寄った。胸倉を掴まれた男は、抵抗するのすら面倒だというように、静かに呟いた。
「ちょうど近くにいた、彼らが助けてくれたんだよ」
「なんで、なんであんな場所に? おかしいじゃない、謀ったのね、ああ、そうなのね」
 ヒステリーを起こしながら、彼女は叫ぶ。
「…いいこと、あなた。ノースは私の息子じゃないの、分かる?」
 仕方ないとでも言うように、彼女はクリアリバーに対してその指を突き付けた。
「…自分の愛する子供じゃないから愛せないっていうのかよ」と、エドワードが割って入る。
「うるさい、黙りなさい部外者が。あんたみたいなガキに、私の事情なんてわからない」
 そのただならぬ空気に、ノースは怯え、アルフォンスの後ろに隠れた。
「わからない? 分かってないのは、あんたの方だろ。前の母親を失って、途方に暮れていたところに来た新しい母親があんたみたいな女だったんだぞ。そんなあんたを母だと言ってくれてた、ノースの気持ちが分かるか?」
 うるさい、と女は金切り声で叫んだ。
「好きな男の前の女の子供なんて、愛せるかってんだ。私は、っ」
「…あんたは分かるのか? 親を亡くす悲しみが。分かるのか、遺された子供の気持ちが」
 ノースと同じくらい、小さな頃だ。母親がいない苦しみを知らない輩には、ノースの気持ちが分かる訳がない、とエドワードは考えていた。
「…エドワードさん。もう、いいです。ありがとう。私が、責任を持って今後どうするか話し合うので、どうか、しばらくノースと遊んでやって下さい」
 いち早く反応したのはアルフォンスだった。ノースの手を引っ張って、部屋を出ていく。エドワードもそれを追った。
 ぱたんとドアが閉められてから、男は口を開いた。
「…さて、」


 庭の花を摘んで遊んでいる弟とノースを片目に、エドワードは庭師の男と会話していた。
「ノースぼっちゃんは、私らの大切な、孫のような存在です。それを、あの女が」
 山の中に置き去りにしてくるなんて、殺そうとしたに違いない。あの女がとても憎い、というように、庭師は窓の方を睨んだ。
 リリアが入れてくれた紅茶を啜りながら、エドワードは庭を見た。
「見たところ、この庭はすごく丁寧に手入れされてますね」
「ああ、ぼっちゃんが怪我をしないよう、なるべく尖った枝は切ってます。引っかいたら危ないから」
「…この庭は、すごく細かいところまで気遣いが行き届いてます。こんな細やかな芸ができる、その手は、間違った方向には使わないで下さい。悲しむのは、他でもない、ノースなんですから」
 エドワードがそう言うと、彼は驚いたような顔をした。
「…分かりました、ノースぼっちゃんが悲しむようなことは致しませんよ」
 そして、庭師はその右手で少年の頭を撫でた。あまりに唐突だったせいか、ぽかんとした顔のエドワードに、庭師は言う。
「お見受けしましたところ、あなたはとても優しい人のようだ」
 そして続ける。
「あなたの愛する人に、素直でいて下さい。私と家内のように、死別したとき、後悔しないよう」
 ああ、とため息が出た。この家の人々は、皆とても重たい事情を抱えている。失うことを知っている。
 不意に、ノースがエドワードを呼んだ。
「おにいちゃん、こっちにきて!」
 行ってみると、彼はにこにこしながら、花の冠をエドワードの頭に乗せた。
「おにいちゃんにあげるね」
 そう言って、ノースは笑った。


 結局、クリアリバーと女は離婚した。それがノースにとって良いことだったのかは分からない。
 しばらくクリアリバーの家に滞在したが、やはり目的のものは見つからなかった。
 そして、出発の日。その日は、風が冷たい朝だった。
「…ごめんなさい、クリアリバーさん。ノースは、大丈夫でしょうか」
「大丈夫です。私も、皆もいますから」
 そう言って微笑む男に、エドワードは頭を下げた。
 と、そこに、ノースが眠たそうな顔でやってきた。
「おにいちゃんたち、いっちゃうの?」
 寂しそうな顔で、ノースはたずねた。うん、とエドワードが頷くと、そっか、と言って俯いた。
「…じゃあ、僕たち、行きますね。ありがとうございました。またね、ノース」
 手を振るアルフォンスに、ノースは手を振り返した。
「またね、おにいちゃんた…くしゅん!」
 くしゃみをしたノースに、二人は顔を見合わせる。エドワードは鞄に仕舞ってあったマフラーを取り出すと、彼の首にかけてやった。嬉しそうなノースの頭をくしゃりと撫で、エドワードは笑う。
「そのマフラー、やるよ。おにいちゃんたちとの、思い出な」
 ありがとう、と子供はマフラーに顔を埋める。子供には少し大きい気がしたが、彼の方が似合っていると思う。
 そして、くるりと背を向けて、エドワードは歩きだした。ノースが、叫ぶ。
「ありがとう、おにいちゃん! またねー!」
 右手を上げて、彼はそれに応えた。

 東方に戻り、エドワードがまず最初にしたことは。
「大佐あ、マフラーなくしちゃったからもう一回編んでくれない?」
「あ、ああ…別に構わないが」
 事情を話すのはとても面倒だったので、クリアリバーとその息子に会ったことだけを簡潔に話した。
 すると彼は、そうか、とだけ言って、それからは口を閉じる。なんだよ、とエドワードが問うが、にこにこ笑っているだけだった。
「…もしかして、全部聞いたの?」
「驚いたね、クリアリバーがあんなに家族想いになってるとは」

 しばらくあとに彼に貰ったマフラーと手袋は、今でも愛用している。
 ときどきほつれたりしてしまったときには、彼に渡す。すると、仕方ないなあと言いながらも手早く直してくれるのだ。

 そして、この冬も、また。

<おわり>

2010.10.3
戻る